近代化を象徴する高層ビルが立ち並ぶ一方、イギリス統治時代に作られた歴史的建造物もあるマレーシアのクアラルンプール。
圧倒的美しさを誇る建造物と言えば、Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)。
この記事ではSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)についてご紹介します。
目次
スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディングの概要
クアラルンプールのムルデカ広場前に位置するSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)。
イギリスがマラヤを統治していた時代に行政機関の建物として作られたもので、1894年に建築が開始し、1897年に完成。
120年以上の歴史を持つ建造物になります。
1896年に成立したマレー連合州(FMS)< Federated Malay States>の事務局が設置されたことでも知られています。
利便性を追求して建てられた
Selangor(スランゴール)の州都がクランからクアラルンプールに移った1800年。
その際に設置した政府の事務局はクアラルンプールのBukit Amanという場所になります。
Bukit Amanはクアラルンプール植物園のすぐ近くにあるエリアで、地名にマレー語で丘を意味するBukit(ブキッ)という言葉が使われている通り、小高い場所になっています。
丘の上というロケーションはアクセス面で何かと不便なことが多かったことから、ムルデカ広場がある場所の対面に政府事務局を移転するという発案につながり、1894年に工事が開始されました。
これが現在あるSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)になります。
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Sultan Abdul Samad Buildingという名前の由来
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)は建立当初からこのように呼ばれていたわけではなく、行政機関の建物であったことから、はじめは単純に「The Government Offices」と呼ばれていました。
Sultan Abdul Samad Buildingという名前に改名されたのは1974年。
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の建築時にSelangor(スランゴール)のSultan(君主)として在位していたSultan Abdul Samad(1804-1898)の名前にちなんだものになります。
Sultan Abdul Samadはスランゴール州第4代目のSultan(スルタン)になります。
Sultan Abdul Samad Buildingの建築スタイルと特徴
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)は中央の時計塔、そしてその両側に2つのドームを持つインド・イスラム建築の建物です。
インド・サラセン様式、ムガル建築、ムーア様式などと形容されることが多いSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の建築様式ですが、実際はムーア様式というよりもムガル建築の要素が濃く、ムガル建築をベースに西洋やムーア様式を取り入れた折衷スタイルになります。
41mをこえる時計台
ロンドンのビッグベンを彷彿とさせるSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の時計台(クロックタワー)。
41mもの高さがあります。
Sultan Abdul Samad Buildingの設計者
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の建築には、Charles Edwin Spoonerの指揮のもと、英国出身の複数の設計者が関わっています。
原案を作成したA.C. Norman
A.C. Normanによって作成されたSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の基本設計。
A.C. Normanが平面図を描き、Normanの部下のR.A.J. Bidwellが立体図を手がけました。
当初はルネッサンス建築をベースとした設計であったものの、Charles Edwin Spoonerがそのデザインを気に入らなかったことから、R.A.J. Bidwellに助言をしつつ、建物デザインを修正させました。
大幅な修正を担当したR.A.J.Bidwell
設計の修正を担当したR.A.J. Bidwell。
R.A.J. Bidwellはのちにシンガポールに渡り、1899年に完成したシンガポールのラッフルズホテルの設計をしたことでも知られる設計者です。
R.A.J. BidwellはCharles Edwin Spoonerの助言を取り入れつつ、インド・イスラムのデザインに修正しました。
Bidwellが去ったあとに引き継いだA.B. Hubback
1895年にR.A.J. Bidwellが辞職したことにより、設計を引き継ぐことになったのはA.B. Hubback。
A.B. Hubbackは、クアラルンプール駅やマスジッド・ジャメ(モスク)など、クアラルンプールの主要建造物の設計を担当しています。
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の礎石には設計者としてA.C. Normanの名前のみが刻まれているものの、実際の貢献者であり設計のキーパーソンと言えるのは、R.A.J. BidwellとA.B. Hubbackになります。
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拡大工事
1897年に工事が完了したあとにも、拡大工事が行われています。
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)の南部にある建物は郵便本局として作られたものになります。
旧郵便本局の設計を担ったのはA.B. Hubback。
Sultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)と調和するようなデザインになっています。
1907年に建てられ、1984年まで郵便本局として使われていました。
ロケーション&アクセス方法
住所:Jalan Raja, Kuala Lumpur City Centre, 50050 Kuala Lumpur, Federal Territory of Kuala Lumpur
最寄駅はMasjid Jamek駅。
また、少し距離がありますがPasar Seni駅からもアクセス可能です。
Pasar Seni駅を利用する場合は、セントラルマーケットやチャイナタウン観光とセットにする形がおすすめです。
まとめ
目を見張るような大きさと美しさを兼ね備えているSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)は一見の価値があります。
以上、クアラルンプールのSultan Abdul Samad Building(スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング)についての紹介でした!
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