1957年のマラヤ連邦独立。
これは1963年のマレーシア成立の礎となる歴史的ターニングポイントとして位置づけられています。
マラヤ連邦の独立に関連する重要な場所と言えば、独立広場として知られるムルデカ広場(ムルデカスクエア)。
この記事ではクアラルンプールのムルデカ広場(ムルデカスクエア)の概要について紹介します。
目次
ムルデカ広場(ムルデカスクエア)の概要
マレーシアのクアラルンプールにあるムルデカ広場(ムルデカスクエア)。
マレー語でDataran Merdekaと呼ばれている場所になります。
Dataranは広場、Merdekaは独立を意味し、その言葉通り「独立広場」という意味になります。
95mのフラッグポールがそびえ立つ場所
ムルデカ広場(ムルデカスクエア)にある象徴的なフラッグポール。
95mの高さを誇ります。
マラヤ連邦の旗がはじめて掲揚された場所
1957年8月31日、イギリスからの独立を果たしたマラヤ連邦。
8月31日に日付が変わったその瞬間の午前12時1分、イギリスの国旗(ユニオンジャック)が降ろされ、マラヤ連邦の旗がはじめて掲揚された場所がムルデカ広場(ムルデカスクエア)になります。
ムルデカ広場(ムルデカスクエア)にも、
THIS IS WHERE THE FLAG OF THE FEDERATION OF MALAYA WAS RAISED FOR THE FIRST TIME TO REPLACE THE UNION JACK AT 12.01 AM 31ST. AUGUST, 1957.
…と刻まれています。
独立宣言&セレモニーはスタジアムで行われた
マラヤ連邦の独立を祝うセレモニーはムルデカ広場(ムルデカスクエア)ではなく、クアラルンプールのチャイナタウンに近い場所にあるムルデカスタジアムで1957年8月31日の早朝に行われています。
マラヤ連邦の初代首相であるTunku Abdul Rahmanが独立を宣言し、スタジアムに集まった群衆の前で「Merdeka!」と叫ぶ姿は歴史的瞬間として刻まれています。
かつてPadangと呼ばれていたムルデカスクエア
広々とした土地に青々とした芝生が広がるムルデカ広場(ムルデカスクエア)。
ムルデカ広場(ムルデカスクエア)と呼ばれるようになったのは1989年のことで、それまではPadang(パダン)や、Selangor Club(スランゴールクラブ)があったことからSelangor Club Padangと呼ばれていた場所になります。
Padangはマレー語でフィールド(field)を意味します。
イギリス統治時代に作られたフィールド
ムルデカ広場(ムルデカスクエア)があるフィールドは、イギリスがマラヤを統治していた1880年代に作られたものになります。
1880年、Selangor(スランゴール)の州都をKlang(クラン)からクアラルンプールに移した際に、行政事務局や警察本部がBukit Amanに作られました。
Bukit Amanはクアラルンプール植物園のすぐ近くにあるエリアで、現在もBukit Amanにはマレーシア連邦警察本部があります。
ムルデカ広場がある場所は、当初はParade Groundと呼ばれ警察の訓練スペースとして使われていましたが、のちに土地をならし、クリケットをはじめとするスポーツができるフィールドになりました。
Bukit Amanに設置された行政事務局は、利便性を考慮してのちにムルデカ広場(ムルデカスクエア)の前に移転することになります。
これが1897年に完成したSultan Abdul Samad Buildingです。
ムルデカスクエアのロケーション&行き方
住所:Jalan Raja, City Centre, 50050 Kuala Lumpur, Wilayah Persekutuan Kuala Lumpur
最寄駅はMasjid Jamek駅。
徒歩でアクセス可能です。
まとめ
ムルデカ広場(ムルデカスクエア)の周辺には、Sultan Abdul Samd Buildingのほか、Masjid Jamekや国立繊維博物館、KLシティギャラリーなど、歴史ある建物が多い場所です。
これらの観光スポットと一緒に見てまわる形がおすすめです。
以上、ムルデカ広場(ムルデカスクエア)についての紹介でした!
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