日本統治時代に高雄の繁華街として栄えた哈瑪星。
一見何の変哲もない街並みに思えますが、日本にゆかりある建物が多く、その歴史を頭の片隅に入れておくと、すごく興味深く散策できる場所です。
この記事では哈瑪星の歴史と散策スポットについて紹介します。
高雄の哈瑪星とは?
日本統治時代に埋立によって作られたの哈瑪星(はません)。
現在の高雄市鼓山区南部エリアが哈瑪星に該当し、鉄道、漁港、旅館、金融街などがある高雄の近代的地区として発展した場所になります。
哈瑪星の発音
標準中国語での発音はHā mǎ xīng(ハーマーシン)ですが、台湾語の音をベースにハマセンと呼ばれています。
日本語の濱線が由来
哈瑪星は日本語の濱線(はません)が由来になっている言葉です。
打狗停車場駅から高雄港や倉庫方面の貨物路線を当時高雄に住んでいた日本人が濱線と呼び、これが台湾の人々の間で哈瑪星として定着。
濱線を含むエリアが哈瑪星と呼ばれるようになりました。
日本の町名がつけられた
日本統治時代に浅野総一郎氏の埋立申請計画が承認され、開発が進んだ哈瑪星。
埋立地には新濱町、湊町、山下町など、日本の町名がつけられました。
はません再興プロジェクト
哈瑪星にある日本統治時代の建物の中には、老朽化の問題や建て壊しの危機に直面したものが少なくありません。
高雄市政府文化局がこれらの建物を積極的に保護、その多くが興濱計畫(Hamasen Restoration Project)というプロジェクトを通じリノベーションが行われています。
興濱計畫は地域コミュニティと高雄市政府文化局、高雄市立歴史博物館、都發局などの公共機関が協働する民官の再興プロジェクトです。
旧打狗駅故事館前に哈瑪星に関する展示物があり、興濱計畫の活動や日本統治時代のはませんの様子を伺い知ることができます。
興濱計畫は哈瑪星にある新濱町や湊町などにある建物の再興に注力していて、駅前の展示物に目を通すと、はませんの歴史ある建物についての理解を深めることができます。
はませんにある歴史的建物
多くの歴史ある建物がありますが、いくつかピックアップして紹介します。
旧打狗驛故事館
打狗駅(初代高雄駅、のちの高雄港駅)があった旧打狗驛故事館。
現在は旧駅舎が鉄道博物館として一般開放されています。
旧打狗驛故事館の奥には哈瑪星鉄道文化園区や哈瑪星台湾鉄道館があります。
貿易商大樓(春田館)
旧打狗駅前にある貿易商大樓。
日本統治時代に春田館という旅館として営業していた場所です。
戦後に4階建てのビルに建て替えられ、1964年に貿易商大樓という名称になりました。
ビルのテナントの契約解除後に建て壊しの危機にあったところ、文化局の呼びかけで保護され、興濱計畫のプロジェクトで生まれ変わった場所になります。
3階に春田茶室、4階に春田氷亭が入っていますが、 2024年になって足を運んでみたところ、休業状態になっていました。
旧三和銀行
貿易商大樓のすぐ近くにある旧三和銀行。
旧新濱町にある建物です。
旧新濱町にある打狗駅前の大通りには、台湾銀行のほか、三和銀行(三十四銀行)、台湾商工銀行などがあり、高雄第一金融街と呼ばれていました。
リノベーションを行った旧三和銀行の建物は、新濱・駅前というカフェとして再生しています。
なお、貿易商大樓と旧三和銀行は、金融第一街の復元をテーマにリノベーションが行われています。
山形屋(壹貳樓)
貿易商大樓や旧三和銀行と同じ通りにある山形屋。
日本統治時代に書店として営業していた建物になります。
現在は壹貳樓という台湾料理のレストランとして営業しています。
1920年代に建てられた山形屋は、書籍・文具・雑貨販売のほか、印刷などのサービスを行なっていました。
武徳殿
1924年に建立された高雄の武徳殿。(当初の呼び名は振武館)
日本の武徳殿がルーツになっていて、日本統治時代には人々が身体と精神を鍛錬する道場として使用されていました。
1999年に古蹟認定され、文化局の呼びかけにより2003年に修繕されています。
現在も演武館として使用されています。
はませんエリアの行き方&アクセス方法
哈瑪星エリアに行く時は、
- MRT西子湾駅
- ライトレール哈瑪星駅
…の利用が便利です。
MRTの西子湾駅。
2番出口のすぐ前に旧打狗驛故事館があります。
ライトレールの哈瑪星駅。
MRT西子湾駅のすぐ近くにあります。
まとめ
上記で紹介したほかにも、
- 佐々木商店高雄支店倉庫(打狗文史再興会社)
- 高雄港駅 北信号扱所
- 高雄港港史館
- 書店喫茶一二三亭
- 雄鎮北門
…などが哈瑪星にあり、歴史あるスポットとして知られています。
哈瑪星の街歩きをする時に、一緒に立ち寄ってみてください。
以上、高雄のはませんについての紹介でした!