オランダ統治時代に作られたマラッカのスタダイス。
かつてオランダ総督官邸および行政活動を行う役場として機能していた場所ですが、現在は博物館としてマラッカの歴史や民族について包括的に学ぶことができるスポットになっています。
一つ一つの展示物にじっくり目を通していると「一日過ごせるのでは…」と思うくらい情報量が多く、数々の国による占領・統治という激動の歴史、そしてマラッカのユニークな文化や民族についてたっぷり学ぶことができます。
この記事ではスタダイスの概要・歴史、および博物館の見所について紹介します。
マラッカのスタダイス(Stadthuys)
オランダ広場にある時計台の後方にどっしり構えるスタダイス(Stadthuys)。
Stadthuysの意味
「Stadthuys」という単語を見ると、
何て読むの?何語?
…と疑問に持つ方が大半であると思います。
Stadthuysはオランダ語。
意味はタウンホールまたはシティホールになります。
つまり、行政機関である市役所(役場)を意味します。
もともとは赤レンガ色ではなかった
スタダイスの象徴である赤レンガ色。
しかしながら、これは1820年代に塗りかえられたものと言われています。
もともとは白色だった建物を特徴的な赤色に塗りかえたのち、スタダイスは“Red Building(レッドビルディング)”として知られるようになりました。
ちなみに、スタダイスのすぐ近くにあるキリスト教会も、建立時はホワイトカラーだったと言われています。
スタダイスの歴史
スタダイスの歴史について、博物館内に展示されている情報をもとに紹介します。
オランダ領時代に作られたスタダイス
スタダイス(Stadthuys)が建設されたのは1650年代。
当初は4階建てのつくりで、18世紀初頭までオランダ総督が実際に暮らした官邸であり、1824年まではオランダの行政オフィスとして使われていました。
イギリス領時代にも行政センターとして使われた
英蘭協定によりマラッカの主権が正式にオランダからイギリスに渡った1824年以降も、イギリスによって行政センターとして使われていたスタダイス。
イギリス統治時代には何度か建物の改築が行われたものの、オランダの建築様式(大きな窓やドアがあるレンガ作りの壁など)はそのまま残されることになりました。
が博物館へ
イギリスによる海峡植民地化や第二次世界大戦を経て、マラヤ連邦が独立したのが1957年。
1979年まではスタダイスが州政府のセンターとして使われていたものの、1982年に博物館化されています。
マレーシア政府による保全・修復工事
1985年からはマレーシア政府によるスタダイスの保全工事が実施され、4年という月日をかけてスタダイスの修復を行っています。
この時にいくつかの井戸が見つかったほか、アンティーク品も発見されています。
博物館の入場料金
スタダイスの階段を登った先にチケットカウンターがあるので、こちらでチケットを購入することができます。
入場料金
入場料金は以下の通り。
- 大人:RM12.00
- 子供(7-12歳):RM6.00
- 6歳以下は無料
(*料金は2019年10月時点の情報に基づきます)
マレーシア人(My Kad保有者)は別料金が適用され、大人はRM6.00、子供はRM3.00になります。
入場料に含まれるもの
スタダイス(Stadthuys)があるエリア一帯は博物館群になっていて、以下の博物館やギャラリーで構成されています。
- History & Ethnography Museum
- Cheng Ho Gallery
- Museum of Literature
- Education Museum
- Democratic Government Museum
- Governors Museum
入場料金には上記の博物館とギャラリーが含まれています。
館内のフロアマップ
メインミュージアムにあたるHistory & Ethnography Museum(歴史&民族誌博物館)のフロアマップ。
Section1〜Section18で構成されています。
Section1のイントロダクションからはじまり、陶磁器・武器・オランダ総督オフィス・伝統楽器やマレー音楽などのテーマに基づいた展示コーナーのほか、各占領時代の歴史について学ぶことができるセクションがあります。
博物館の見所ポイント
博物館はかなり大きく、展示物も多いので、丁寧に見てまわるとかなり時間がかかります。
「博物館の中はどうなってるの?」という疑問を持つ方のために、ここではHistory & Ethnography Museumの中で、個人的に見所ポイントだと思うスポットを取り上げて紹介します。
オランダ領時代に作られたとされる排水システム
博物館の入口そばにあるこちらの展示物。
スタダイス(Stadthuys)の旧地下排水システムの一部です。
マレーシア政府による保全工事中、セメント床を除去した際に偶然発見されたものになります。
興味深いのは、この排水システムがオランダによりスタダイス建設時に既に作られていたという事実。
スタダイス周辺にある排水システムは、イギリス統治時代やその後に作られたものであると考えられていて、オランダ統治時代には排水システムはなかったのでは?と思われていましたが、実際にはオランダ統治時代に既に存在していたということを証明するものになっています。
マラッカにおける占領の推移を示す展示物
博物館の入口そばにあるイントロダクションのコーナー。
マラッカにおける統治の歴史について、ビジュアルで学ぶことができるようになっています。
1511年〜1641年はポルトガルの時代。
1641年〜1824年はオランダ。
1824年〜1957年はイギリス。
第二次世界大戦中は日本が一時占領していた時期もあります。
1957年8月31日はマラヤ連邦の独立記念日として知られ、イギリスから独立を果たしています。
戦時中の1942年〜1945年は日本が占領しています。
マラッカで発掘された様々な陶磁器
博物館の入口のすぐそばにあるセクションは陶磁器についての展示コーナーになります。
マラッカで見つかった様々な国の陶器が展示されています。
鮮やかなカラーが特徴のプラナカンの陶磁器。
日本の陶磁器。
上記のほかにも明や清時代の中国陶磁器、ベトナム、ペルシャ、オランダなどの陶磁器も展示されています。
これらの展示物はマラッカが交易の中心地であったことを示すものになっています
各統治時代の歴史について学ぶセクション
History & Ethnography Museumには、マラッカ王国時代・ポルトガル占領時代・オランダ占領時代・イギリス占領時代・日本占領時代という各時代に分けた歴史セクションがあります。
興味のあるコーナーをじっくり見てみる形がおすすめです。
こちらは日本占領時代のコーナー。
鄭和&マラッカのエンリケのコーナー
建物の3階、Section18は鄭和(Cheng Ho)とマラッカのエンリケ(Panglima Awang)に関わる展示コーナーになっています。
鄭和(Cheng Ho)ギャラリー
7回に渡る大航海を果たした中国・明朝の武将、鄭和(Cheng Ho)。
1回目の航海で鄭和(Cheng Ho)がマラッカに寄港したのち、マラッカ王国は明の皇帝に朝貢するようになり、両国の関係が密接になりました。
マラッカ王国と中国を結ぶ架け橋となった鄭和(Cheng Ho)は、マラッカの歴史を語る上で欠かすことのできない重要人物になります。
鄭和(Cheng Ho)ギャラリーの側にある中庭。
こちらにも鄭和(Cheng Ho)の像があります。
Enrique of Malacca(Panglima Awang)
Enrique of Malacca(マラッカのエンリケ)はマラッカ出身の男性で、ポルトガル占領時代にフェルディナンド・マゼランに奴隷として捕らえられ、マゼランに従い世界一周を果たした人物として知られています。
Enrique of Malacca(マラッカのエンリケ)は、マレー語でPanglima Awangと呼ばれています。
民族の文化について学ぶセクション
交易の地として栄えた歴史を持つマラッカ。
ポルトガル・オランダ・英国などの占領の歴史や、世界の様々な場所から商人が交易のために訪れたマラッカは、様々なルールを持つ人々が暮らす独特のコミュニティを形成した場所としても知られています。
多様性溢れるマラッカのコミュニティの特徴を表したものがこちらの展示物。
向かって一番左にいる男性はマレー系になりますが、その隣から…
- ポルトガル(Portuguese Community)
- 中国(Chinese Community)
- インド(Indian Community)
- チッティー(Chitty Community)
- ババニョニャ(Baba Nyonya Community)
…という異なる民族コミュニティを表現しています。
同セクションにはマレー系やポルトガル系など、それぞれの婚姻の様子を示す展示物もあります。
プラナカンについて学ぶセクション
プラナカンのブライダルベッド。
婚礼に使用される部屋がどのように準備されるのか、どのような儀式をするのかについて、ベッドの横にある説明書きに紹介されています。
非常に面白い内容になっているので、プラナカン文化に興味がある方は是非チェックしてみてください。
向かって左側にあるものはBakul Sia(Sia Busket)と呼ばれるバスケット。
主にプラナカンの婚姻儀式に用いられるもので、伝統菓子のニョニャクエ(Nyonya Kuih)をはじめ、ウェディングギフトを入れて持ち運ぶためのバスケットとして使われています。
こちらはプラナカンのリビングルームを再現したものになります。
プラナカンについて興味がある場合は、ペナンのプラナカンマンションまたはマラッカのババニョニャヘリテージ博物館に足を運ぶことをおすすめします。
マレー伝統様式の住居
Melaka House(マラッカハウス)というセクションでは、マレー伝統様式の住居が展示されています。
ベーカリー
Section12にあるDutch Bakeryと呼ばれるベーカリー。
オランダ統治時代に使われていたスタダイス(Stadthuys)のパン屋さんになります。
そのほかの博物館
Melaka Literature Museum(Museum of Literature)。
Education Museumも近くにあります。
こちらはセントポール教会の近くにあるGovernors Museum。
Democratic Govvernment Museumについては、セントポール教会に続くセントポールヒルの階段の上にあります。
スタダイスのロケーション
住所:Jalan Gereja, Bandar Hilir, 75000 Melaka
時計台やキリスト教会のすぐ近くにあるので、見逃すことはないはずです。
まとめ:マラッカの歴史と民族について理解できる学びの場
スタダイスはマラッカの歴史や民族について理解することができる学びの場として非常に優れています。
ただし、限られた時間の中で全ての博物館をまわろうとするとかなり大変なので、時間にあまり余裕がない場合は、History & Ethnography MuseumとCheng Ho Galleryを中心に見学する形がおすすめです。
近くにあるキリスト教会やセントポール教会の観光と組み合わせて足を運んでみてください。