プラナカンの文化が色濃く残るマレーシアのペナン島。
プラナカンについて理解を深めたい時はペナンプラナカンマンションに足を運んでみてください。
壮美な建物の中にプラナカンに関わる数々のアンティーク品が並び、一見の価値がある場所です。
Peranakan(プラナカン)とは?
Peranakan(プラナカン)という言葉には子孫や末裔という意味があり、
- プラナカンの男性=Baba(ババ)
- プラナカンの女性=Nyonya(ニョニャ)
…と呼びます。
プラナカンの人々を総称してBaba Nyonya(ババニョニャ)という言葉が使われることもあります。
プラナカンの定義には諸説ありますが、Wikipediaでは、
15世紀後半から数世紀にわたって移住してきたマレーシアに根付いた主に中華系移民の末裔を指す。
…と説明しています。
1400年初頭に繁栄し、東西貿易の主要な港になっていたマラッカでは、中国をはじめ諸外国から多くの商人が出入りし、早くからプラナカンが存在していたと言われています。
こんな起源説も…
中国の明の皇帝の命を受けて、7度の大航海を指揮した雲南省出身の武将、鄭和(Cheng Ho)。
その航海の中で何度かマラッカに立ち寄り、マラッカ王国の君主は明の皇帝に朝貢していたことで知られています。
また、マラッカ王国6代目Sultan(君主)であるMansur Shahは、明朝・永楽帝の娘とされるHang Li Po(漢麗寶)を5番目の妻として迎え入れたことから、両国の関係が強靭なものになったとも言われています。
Hang Li Poの婚姻に伴い、中国から女中のほか500人もの男性貴族がHang Li Poに従いマラッカ王国に居住したとされ、のちに彼らはマレー半島の女性たちと婚姻・家庭を築き、これがプラナカン(ババ・ニョニャ)の起源になっているという説が存在します。
ただし、Hang Li Poが本当に明皇帝の娘であったのか、さらには実在していたのかについて疑問視する専門家の声もあり、上記の説には議論の余地があります。
多様性溢れるマラッカのプラナカン
ペナンでプラナカンと言う時、Straits Chinese(ストレーツ・チャイニーズ)と呼ばれる海峡華人を指すことが多いと言えます。
Straits Chineseは海峡植民地下において、英国人役人のもとで働くケースや貿易業を商いとする人が多く、それらの背景からマレーシアのマラッカ、ペナン、シンガポールで独自のコミュニティを形成していきました。
一方、マラッカのプラナカンはその歴史的背景から、
- ユーラシア系
- ジャワ系
- インド系
- オランダ系
- ポルトガル&マレー系
…など様々なルーツを持つグループが存在し、それぞれPeranakan Jawi、Peranakan Chitty、Peranakan Dutch、Peranakan Seraniなどの呼び名を持っています。
ペナンプラナカンマンションの過去と現在
正式名称はPinang Peranakan Mansion。
元々は19世紀に建てられた大富豪の邸宅兼オフィスで、当時は福建語の言葉でHai Kee Chanと呼ばれていました。
Hai Kee Chanを漢字にすると海記棧、Sea Remembrance Storeという意味があります。
ペナンプラナカンマンションを建設した人物
ペナンプラナカンマンションの元々の所有者は鄭景貴(Chung Keng Kwee)。
鄭景貴(Chung Keng Kwee)自身はプラナカンではなく、中国広東省・増城出身の客家系の中国人です。
マラヤで錫鉱山労働をしていた父と兄を追って、1841年に20歳という年齢で中国からマラヤに渡りました。
ペラ州の錫鉱山を中心に様々な事業を展開して大富豪になった人物で、海山公司(Hai San Kongsi)という闘争グループ(秘密結社)のリーダーになったり、ペラのChinese Kapitan(Kapitan Cina)として中華系コミュニティのリーダーに任命されたりと、当時のペラやペナンにおける権力者として名を馳せていました。
上記はペナンプラナカンマンション内に展示されている鄭景貴の肖像画。
横に並んでいる二人の女性は鄭景貴)の夫人になります。
中国にいた時に既に結婚していた鄭景貴ですが、マラヤでも複数の女性と婚姻関係を結び、家族みんなで豪邸に住んでいたと言われています。
鄭景貴が由来になった通りがある
ペナンのジョージタウン中心部に、Lebuh Ah Queeという名前の通りがあります。
この通りの名前は鄭景貴(Chung Keng Kwee)にちなんで名づけられたものになります。
ジョージタウンにあるLebuh Ah Queeの由来を説明するワイヤーアート。
ペナンのワイヤーアートには様々なものがありますが、どれもペナンの文化を学ぶことができる非常に興味深いものになっているので、ストリートアート観光と合わせてチェックしてみてください。
現在のオーナー
ペナンプラナカンマンションの現在のオーナーはPeter Soonさん。
1901年に鄭景貴が亡くなった後の豪邸は、廃墟化への道を辿ります。
戦時中は日本軍が邸宅を徴発、戦後何十年も誰も住んでいない状態が続き、もはや崩壊寸前の状況にありました。
自身もプラナカンであり建築家というバックグラウンドを持つPeterさんは2000年に邸宅を購入。
当時の状態に再現するための修復工事を行い、2004年に博物館として一般公開したものが、現在のペナンプラナカンマンションです。
オーナー自身がプラナカンアイテムのコレクターであることから、マンション内にはPeterさんが所有する数々のアンティーク品が展示されています。
壮美なペナンプラナカンマンションの見所
英語のMansion(マンション)には大邸宅という意味がありますが、ペナンプラナカンマンションの中に一歩足を踏み入れると、その名の通りスケールの大きさに驚きます。
1階にはメインホールのほか、広々とした中庭、英国式とニョニャ式のダイニングエリア、書斎があります。
プラナカンハウスにある木製の家具には精巧な彫刻が施されていて、真珠層であるmother of pearl(マザーオブパール)や大理石が使われているところもその特徴です。
ひんやりと冷たい大理石にはクールダウンの効果があります。
こちらはSia Busket(Bakul Sia)と呼ばれる伝統バスケット。
バスケットが置かれている台にあるキラキラした装飾がマザーオブパールになります。
ウェスタンダイニング。
2階へ続く階段は海外から輸入した素材と現地の材料を組み合わせて作られたものになります。
見所は手すり部分の鉄製のバラスター(手すり子)。
これはスコットランドのGlasgow(グラスゴー)から輸入したものになります。
2階エリアは鄭景貴(Chung Keng Kwee)とその家族が暮らしていたプライベートエリアになります。
ファミリーホール、婚礼が執り行われるBridal Chamber(ブライダルチャンバー)、陶器やジュエリーのアンティーク品が展示されているスペースなどがあります。
Bridal Chamberには年代別(1900’s-1920’s・1920’s-1940’s・1930’s-1950’s)に3つの展示スペースがあり、それぞれ当時のプラナカンの暮らしぶりが伺える内容になっています。
ファミリーホールには鄭景貴(Chung Keng Kwee)と夫人、鄭景貴(Chung Keng Kwee)の両親や祖父母の肖像画が展示されています。
鄭景貴(Chung Keng Kwee)と夫人の肖像画。
イギリスから輸入したアンティークの花瓶。
プラナカンスタイルの陶器。
プラナカンスタイルのティーセット。
このほかにも様々なプラナカン陶器のコレクションがあります。
こちらはBridal Chamberの一つ。
ニョニャ伝統衣装のKebaya(クバヤ)。
ブライダルベッド。
展示されているアンティーク品はどれも見応えがあります。
ジュエリーミュージアム
Pinang Peranakan Mansion(ペナンプラナカンマンション)にはThe Straits Chinese Jewellery Museumがあり、このエリアにはジュエリーやプラナカン伝統の刺繍やビーズのアンティーク品のほか、ギフトショップが併設されています。
オーナーのコレクションがたっぷり詰まったスペースになっています。
ジュエリーコレクション。
Nyonya kasut manekと呼ばれるビーズ刺繍の靴。
- 刺繍
- ビーズの靴作り
- 料理
これらはプラナカンの女性たちが嫁入り前に身につけることを求められた技術であり、ビーズ刺繍で作られるニョニャのビーズスリッパはプラナカンを代表する伝統文化になります。
ビーズ刺繍で作られたバッグ類。
思わず見惚れてしまう、そんなアンティーク品が数多く展示されています。
ペナンプラナカンマンションの横にあるお寺
ペナンプラナカンマンションの横にひっそりと佇むこちらのお寺。
鄭景貴(Chung Keng Kwee)が祖先を祀るために1899年に作ったお寺になります。
120年以上の歴史がありますが、老朽化に伴い中国から職人を呼び寄せ、伝統技術を用いて修復しています。
ペナンプラナカンマンションのロケーション
住所:29, Church St, Georgetown, 10200 George Town, Penang
まとめ:プラナカンマンションは訪れる価値のある場所
ペナンプラナカンマンションはペナンを訪れるなら、絶対に足を運ぶべきおすすめスポットです。
また、プラナカンに興味がある場合は、ブルーマンションも訪問してみてください。
ブルーマンションにはペナンプラナカンマンションとは異なる魅力があります。