19世紀後半〜20世紀初頭までイギリス商館として使われていた台南の德記洋行。
現在は台灣開拓史料蠟像館として一般開放されている場所になります。
台南の德記洋行とは?
1845年、中国・福建省のアモイで創業した德記洋行。
イギリス東インド会社の傘下で、スコットランド出身のJames Taitがはじめた会社になります。
1867年、同社が台湾支店として安平に開業したものが、台南の德記洋行(The Tait & Co.)です。
洋行ってなに?
中国語の洋行(Yángháng/ヤンハン)には、「外国人が営むお店」という意味があり、ここでは外国人の商人が作った商社を意味する言葉として使われています。
5大貿易商の1つだった
1858年に締結された天津条約により、対外開港した台湾の港。
1865年、安平に税関が設立され、安平港が正式開港すると、安平に多くの西洋人が流れ込み、商社を設立します。
貿易業が活発化した安平で、「安平五洋行」と呼ばれたものが、
- 徳記
- 怡記
- 和記
- 東興
- 唻記
…という5つの外国商社で、徳記は安平の五大貿易商の1つとして名を馳せます。
日本統治時代の歴史
日本統治時代になると、状況は一変します。
アヘンや砂糖などの専売権が日本に独占されたことにより、外国の貿易商は事業撤退や移転に追い込まれます。
德記洋行も同じように甚大な影響を受け、1911年に安平の事業所が閉鎖します。
德記洋行の建物は大日本塩業株式会社に売却され、営業所として使用されるようになります。
戦後の歴史
戦後、台南塩業会社の事務所として使用されたのち、台南市政府の管轄下になります。
市政府による修繕が行われ、台灣開拓史料蠟像館として開放され、現在に至ります。
台灣開拓史料蠟像館の見どころ
台灣開拓史料蠟像館には、
- 大航海時代のオランダ
- 徳記洋行の歴史
- 安平貿易の歴史
- 台湾の対外貿易の歴史
…などをテーマにした展示物があります。
ここではいくつかの見どころをピックアップして紹介します。
大航海時代とオランダ人の到来
1624年から1662年まで38年間に及ぶオランダ統治にあった台湾。
大航海時代の17世紀にオランダが台湾に上陸し、台湾が東西の国際貿易の世界に取り込まれた経緯が説明されています。
徳記洋行の歴史
徳記洋行の歴史をまとめた展示コーナー。
1845年の創業や1867年の台南安平事業所の立ち上げにはじまり、茶葉の輸出業が台湾北部の淡水港で活発化すると、1878年に淡水、1887年には大稻埕にも同社の事業所を立ち上げた歴史が記されています。
安平貿易の歴史
安平に拠点を構えた洋行の主要収入源となった取引品目は、砂糖、米、樟脳、アヘン。
台湾南部の産品であるターメリック、龍眼、ピーナッツ、ごま油なども海外に輸出する一方、主要な輸入品目はアヘンとなっていました。
茶葉に関しては、台湾中北部が茶葉の主要産地となっていたことから、安平港ではなく台湾北部の淡水港が取引の中心となっていました。
茶葉貿易も徳記洋行をはじめとする外国貿易商が主体となり、東方美人茶などの台湾茶を欧米向けに輸出し、茶葉貿易業が繁栄します。
なお、台北の大稻埕は淡水港開港と共に発展した場所で、大稻埕エリアにある迪化街は商業の中心地として繁栄していた時代の面影を感じることができる場所になっています。
また、台北の迪化街付近には、100年以上の古い歴史を持つ茶行があり、台北で茶葉を購入したい時におすすめのスポットです。
台灣開拓史料蠟像館の入場料金
一般入場料はNT$70。
德記洋行 (台灣開拓史料蠟像館)の入場料は、安平樹屋の入場料に含まれています。
ロケーション
住所:台南市安平區古堡街108號
台南市内中心部からタクシー/Uberまたはバスでアクセスできます。
台南市内中心部から2番バスを利用する場合、安平古堡(安北路)で下車し、徒歩4分くらいの距離に徳記洋行があります。
まとめ
台湾の貿易について学ぶことができる德記洋行 (台灣開拓史料蠟像館)。
すぐ近くにあるツリーハウスと合わせて、じっくり見学してみてください。
以上、德記洋行 (台灣開拓史料蠟像館)についての紹介でした!