ペナンのジョージタウンにある廣福宮(Kong Hock Keong)。
ペナンで最も古い中国寺院になります。
ペナンの観音亭(廣福宮)の概要と歴史
ジョージタウンのJalan Masjid Kapitan Keling(旧Pitt Street)にある廣福宫(Kong Hock Keong)。
通称、観音亭(Kuan Yin Teng)として親しまれている寺院で、英語では観音亭をベースに、Goddess Mercy Templeと呼ばれています。
1800年頃に、イギリス東インド会社から譲渡された土地に建立された、220年以上の歴史を持つペナン最古の中国寺院になります。
元々は媽祖を祀っていた
観音亭(廣福宮)として建立される以前は、媽祖(māzǔ)を祀っていた場所であったと言われています。
航海や漁業の神様である媽祖は、福建省など中国南沿海部を中心に、台湾のほか中国南部から東南アジアに渡った華人の間で深く信仰されている道教の女神です。
観音亭と呼ばれるようになった背景
寺院で祀る主要な神様を観音菩薩にしたことから、観音亭と呼ばれるようになりました。
観音亭(廣福宮)に足を踏み入れると、中央に菩薩観音、その横に媽祖が祀られ、多くの参拝客が祈りを捧げています。
のちに観音菩薩や媽祖以外の神々も祀るようになり、ローカルの人が信仰する関帝や大伯公など、様々な神様が祀られています。
廣福宮と名づけられた理由
観音亭の正式名称である廣福宮(Kong Hock Keong)。
- 「廣」は広東系(Cantonese)の人々
- 「福」は福建系(Hokkien)の人々
…を意味します。
なぜ、広東と福建の人々を意味する文字が寺院の名称に使われているのかと言うと、廣福宮がペナンの福建系と広東系の人々の出資と寄付により作られた場所であるためです。
言語が異なり、かつて紛争も多かった福建と広東系の人々を繋ぐ存在が観音菩薩であり、観音亭は人々の心の拠り所になっていました。
上記画像は観音亭内に展示されている、寺院組織の推移を説明する資料で、福建系の人と広東系の代表者がそれぞれ同じ人数で平等に選出されて構成されていることを示すものになります。
調停(仲介)の場としての機能があった
観音亭は宗教の場としてだけではなく、異なるエスニックグループ間の調停の場として使われていた歴史があります。
やがて、民間のトラブルや闘争と信仰の場を切り離すために、檳州華人大會堂(Penang Chinese Town Hall) を設立すると、観音亭が担ってきた調停の機能は、檳州華人大會堂に引き継がれることになります。
観音亭と極楽寺の関係
ペナンのAir Itamにある巨大な仏教寺院として有名な極楽寺。
この極楽寺を建立したのは、妙蓮法師という中国の僧侶になりますが、妙蓮法師はかつて観音亭の住職であったことでも知られています。
上記画像は観音亭に展示されている資料で、寺院に関わる著名な僧侶として妙蓮法師が紹介されています。(向かって左側が妙蓮法師になります。)
妙蓮法師が極楽寺の建立に至った経緯については、以下の記事で紹介しています。
インドネシアやマラッカにある観音亭との比較
観音亭(廣福宮)の展示資料のなかに、ジャカルタやマラッカなど、マラッカ海峡にある観音菩薩を祀る寺院について紹介しているものがあります。
インドネシアのBatavia(*現在のジャカルタ)にある観音亭が最も古く、のちにマラッカの青雲亭が建立され、そのあとにペナンの観音亭が作られたことが説明されています。
マラッカの青雲亭は、ペナンの観音亭(廣福宮)よりも古い歴史を持ち、1600年代に建立されたマレーシアで最も古い中国寺院になります。
青雲亭にも、観音菩薩や媽祖が祀られています。
参拝客で最も混み合う春節
観音亭(廣福宮)がいっそう賑わうのは、観音菩薩の誕生日と春節(旧正月)。
多くの人が参拝に訪れます。
特大サイズの線香。
参拝客が多い春節は、とりわけ多くの線香が焚かれます。
観音亭(廣福宮)のロケーション
住所:30, Jalan Masjid Kapitan Keling, George Town, 10200 George Town, Pulau Pinang
観音亭(廣福宮)は、ジョージタウンのJalan Masjid Kapitan Keling(旧Pitt Street)にあります。
まとめ
Jalan Masjid Kapitan Kelingは、ハーモニーストリートと呼ばれる場所で、観音亭のほか、教会、モスク、インド寺院が立ち並ぶエリアとして知られています。
周辺にある教会、インド寺院、モスクも一緒に見てまわることをおすすめします。
以上、ペナンの観音亭(廣福宮)についての紹介でした!