フランシスコ・ザビエル像と共に、見晴らしの良い丘の上に凛と佇むマラッカのセントポール教会。
数百年という長い歴史を持つ教会跡地は、
言葉では表し難い神聖さを放つ
…そんな特別な場所です。
ポルトガル・オランダ・イギリスによる占領という歴史の波に揉まれてきた過去の変遷、そしてセントポール教会とフランシスコ・ザビエルの関係、これらの情報を頭の片隅に入れておくと、セントポール教会観光がもっと興味深いものになります。
この記事ではセントポール教会を訪れる前に知っておくと役立つ同スポットの概要を解説の上、見所ポイントやアクセス方法について紹介します。
マラッカ・セントポール教会の概要
St. Paul’s Hill(セントポールズヒル)と呼ばれる丘の頂に佇むセントポール教会。
丘の上に続く階段を登った先に見えてくるフランシスコ・ザビエル像とセントポール教会の跡地。
1521年に建立されたセントポール教会は、マレーシアおよび東南アジアで最も古い教会であると言われています。
セントポール教会の歴史については、跡地の前にある看板にマレー語と英語で概要がまとめられています。
これに目を通すと大まかな歴史を把握することができるようになっていますが、ここでは看板の内容とWikipediaに記載されている情報を参考にしつつ、
- ポルトガル占領時代
- オランダ占領時代
- イギリス占領時代
…に分け、セントポール教会の歴史について紹介します。
ポルトガル占領時代の歴史
1512年に建立された時はチャペル(礼拝堂)のみというシンプルな構造であったセントポール教会。
当時はセントポール教会という名称ではなくNossa Senhora da Annunciada(Our Lady of the Annunciation)と呼ばれていました。
礼拝堂を建立したのは貴族出身のポルトガル人船長、Duarte Coelho。
南シナ海を航海中に様々な難から無事逃れることができたことに対する感謝の念として、聖マリアに捧げる礼拝堂をSt. Paul’s Hill(セントポールヒル)に建立したことが今あるセントポール教会の原点になります。
フランシスコ・ザビエル
セントポール教会の歴史を語る上で欠かすことのできない人物がフランシスコ・ザビエル。
日本をはじめ、アジアにおける宣教活動に身を捧げたことで知られています。
イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラと共にイエズス会を創設したフランシスコ・ザビエルは、ポルトガル王の要請を受け、1541年にリスボンからインドのゴアに向けて出発、1542年以降からゴアを中心にインドで宣教活動を開始します。
マラッカには1545年に到着し、それ以降何度かマラッカを訪れ、宣教活動の拠点の一つにしています。
マラッカで出会った日本人・ヤジロウ
フランシスコ・ザビエルがマラッカ滞在中に出会った日本人のヤジロウ(アンジロウ)。
ヤジロウとの出会いがきっかけとなり、1549年に来日を果たし、1551年まで日本で宣教活動を行います。
上川島からマラッカ、そしてゴアへ
中国での宣教活動のためにインドのゴアから中国広東省の上川島に向かうことを決めたフランシスコ・ザビエル。
しかしながら、1552年に病におかされ、上川島で亡くなります。
上川島で暫定的に埋葬されたあと、マラッカのセントポール教会に9ヶ月間安置、そののちインドのゴアに移送されます。
セントポール教会のメインホールには、フランシスコ・ザビエルが安置されていたと言われる場所が現存し、一般公開されています。
教会の増設・改名と埋葬地としての利用
1556年、2階建ての建物に礼拝堂をつくりかえ、Church of Annunciationに改名しています。
さらに、1590年には教会前にタワーを設置し、Igreja de Madre de Deus(Church of the Mother of God)という教会名に変えています。
1592年以降は、教会の敷地が墓地としても使われるようになります。
オランダ占領時代の歴史
1641年、オランダがマラッカを占領するようになってからはオランダ改革派教会に聖別され、カトリック教会からプロテスタント教会に変化、セントポール教会(BovenkerkまたはHigh Churchとしても知られる)と名づけられました。
1745年にはポルトガルによって建てられたタワーがオランダによって壊されたものの、壁は要塞として使われるようになりました。
キリスト教会ができるまでの112年間
オランダ広場の近くに、マラッカを代表するアイコンの一つとも言えるキリスト教会(Christ Church Melaka)があります。
これは1753年にオランダにより建立されたものになりますが、オランダ占領からキリスト教会が建てられるまでの112年の間は、セントポール教会がマラッカに滞在していたオランダ人コミュニティの主要教会として使われていました。
キリスト教会が建立されると、セントポール教会は要塞として増強されつつも、教会として使用されなくなりました。
イギリス占領時代の歴史
イギリス占領時には、教会が火薬庫として使われていたという過去を持ちます。
また、セントポールヒルに数々のフラッグポールを立て、イギリスの国旗であるユニオンジャックを掲げ、セントポールヒルをFlag Hill(フラッグヒル)という地名に変更しています。
ただし、フラッグヒルという地名は一般に浸透せず、次第にセントポール教会は廃墟化が進んでいきました。
上記がポルトガル占領時代からイギリス占領時代までの流れとセントポール教会の変遷になります。
セントポール教会の概要ポイント
- 建立当時は礼拝堂のみで、はじめからセントポール教会と呼ばれていた場所ではない
- フランシスコ・ザビエルの宣教活動拠点の一つであり、一時的に埋葬されていた場所がある
- カトリック教会からプロテスタント教会への変遷
- 要塞や火薬庫として使用された過去を持ち、廃墟化の道を辿る
このあたりがセントポール教会の概要ポイントになります。
セントポール教会の見所ポイント
ここからは、セントポール教会の見所について紹介します。
屋根のない教会跡地
セントポール教会の跡地に足を一歩踏み入れると、そこには日差しが差し込む屋根のない空間が広がっています。
オランダ占領時によるカトリック教会からプロテスタント教会への移り変わり、そしてキリスト教会の建立により次第に見捨てられたセントポール教会。
それでもなお、数百年という歴史の重厚感をまとい、独特の尊厳を保つ建築物はただただ美しい…
こんな圧倒感に暫し言葉を失います。
きらびやで華やかな教会を想像して行くとガッカリしてしまうかもしれませんが、激動の時代を乗り越えてきたという歴史を知ることで、この教会跡地を風化が進んだ廃墟と見るのか、歴史的価値のある場所と見るのか、物の見方が大きく変わってきます。
Tombstone(墓碑)
セントポール教会の中には数々の墓碑が並べられています。
その多くは1600年代のものになります。
セントポール教会のメインホール内にも多くの墓碑があります。
一つ一つの墓碑には、氏名や没年が明記されています。
フランシスコ・ザビエルが安置されていた場所
中国・上川島でのフランシスコ・ザビエルの没後、インドのゴアに移送される1553年3月〜12月までの9ヶ月間、フランシスコ・ザビエルが安置されていた場所がメインホールの中にあります。
それがこちら。
IHSの文字に十字架、これはイエズス会を意味するマークになりますが、フェンスで囲まれた中の下部にあるスペースにフランシスコ・ザビエルが安置されていたと言われています。
右手のないフランシスコ・ザビエル像
フランシスコ・ザビエルに関わるストーリーはもう一つあります。
それが教会跡地前に建てられたフランシスコ・ザビエル像。
よくよく見ると右手が欠けていることに気づきます。
フランシスコ・ザビエル像に関わる逸話
マラッカのセントポール教会にあるフランシスコ・ザビエル像は、ザビエルの在マラッカ400年を記念し、1952年に作られたものになります。
完成時にあった右手がなぜなくなってしまったのか?
翌年の1953年に式典を行った際に、近くにあった大きなcasuarina(カジュアリーナ)の木がザビエル像を直撃し、そこで右手が欠けてしまったと言われています。
ローマのChurch of the Gesù(ジェズ教会)に、聖人の遺物としてフランシスコ・ザビエルの右手が1614年から保管されていますが、右手のないフランシスコ・ザビエル像とジェズ教会の右手と何らかの関係があるのでは?という逸話があります。
(フランシスコ・ザビエルの右手に関わるストーリーに興味がある方はWikipediaで詳細を確認してみてください。)
セントポール教会のロケーション&行き方
住所:Jalan Kota, Bandar Hilir, 75000 Melaka
オランダ広場の近く、Stadthuys(スタダイス)のそばにあります。
アクセス方法詳細
他にもアクセス方法がありますが、ここではStadthuys(スタダイス)側からのアクセス方法について紹介します。
こちらがStadthuys(スタダイス)。
正面にある階段を登ります。
階段を登ってから、まっすぐ奥に歩いて行きます。(右手側に駐車場があります。)
さらに奥にある階段を登ります。
Stadthuys(スタダイス)の建物の後方まで歩いて行くと、Gallery of Admiral Cheng Ho(鄭和文物記念廊)があり、その前にある道路を渡ります。
ST PAUL HILL(セントポールヒル)という表示があるので、そのまま階段を登っていきます。
こちらが階段です。
階段の先に続く通りを歩いて行きます。
細道が続きます。
もう一つ階段を登ったところにセントポール教会があります。
セントポールヒルからの眺め。
高台にあることから、マラッカの絶景を見渡すことができます。
入場料について
入場料は無料です。
自由に教会敷地内に入ることができます。
まとめ:歴史的価値のある教会跡地
歴史の重厚感というベールをまとうセントポール教会は、マラッカで訪れるべき場所として非常におすすめです。
特に世界史が好きな方には興味深い場所になるはずです。
セントポール教会から少し離れたところにはセントフランシスサビエル教会があるので、興味がある方は一緒に足を運んでみてください。
以上、マラッカのセントポール教会について紹介でした!