ペナン島における観光スポットの一つ、クーコンシー(Khoo Kongsi / 龍山堂邱公司)。
壮観な建築物が有名であることから、建物のみを見て観光を終了してしまう方が多いものの、クーコンシーは邱(Khoo)一族の歴史やルーツを把握することができる“学びの場”として非常に優れています。
正直、建物の写真を取って観光終了…ではもったいない場所です。
こんな視点からクーコンシーを見てまわると、満足度の高い観光に繋がります。
この記事では知っておくと便利なクーコンシーの基本情報や見所、行き方(アクセス方法)について紹介します。
目次
マレーシア・ペナン島のクーコンシーとは?
クーコンシーは祖先を祀る廟を持つ、一族(Clan・クラン)が集うClan House(クランハウス)です。
正式名称は龍山堂邱公司(Leong San Tong Khoo Kongsi)。
クーコンシーは2階建てになっていて、1階エリアには一族のルーツを説明するちょっとした博物館があり、そこで一族やクーコンシーについての理解を深めることができるようになっています。
以下に紹介する内容はそれらの情報をまとめたものになりますが、クーコンシーを訪れる前に知っておくと便利な予備知識でもあるため、クーコンシーの概要として紹介します。
ペナンのクー(Khoo / 邱)一族の原点
邱一族の原点は中国福建省漳州府海澄县三都新垵保新江社。
現在、同エリアは福建省廈門市海滄区にある新垵村に改名されています。
新江というエリアが一族の原点で、この場所で暮らしていた邱一族がペナンに渡り、祖先を祀り一族が集う場所として築き上げたものがクーコンシーになります。
一族の祖先と650年以上の歴史
一族の祖先は迁荣公(Chian Eng Kong)。
迁荣公(Chian Eng Kong)はペナンのクーコンシーと中国新江の邱一族、2つのグループに共通する先祖になります。
迁荣公(Chian Eng Kong)を一族の起点として見ると、邱一族の歴史は650年以上にも及びます。
迁荣公(Chian Eng Kong)のルーツと「曾と邱」の関係
『新江邱氏曾氏族谱』に記載されている内容によると、迁荣公(Chian Eng Kong)は曾一族の子孫であり、そのルーツを遡ると、唐時代の曾延世(Chan Yan Si)に辿りつきます。
曾延世(Chan Yan Si)は唐朝における軍事に関わった人物で、元々は河南省で暮らしていたものの、唐朝末期に発生した黄巣の乱から難を逃れるために、一族を引き連れて福建省泉州の温陵(龍山)に避難し、その土地で暮らすようになります。
曾から邱へ
曾昌公の4番目の子供として生まれた迁荣公(Chian Eng Kong)は、結婚して子供を授かったあとに新江に移り住み、「邱」という姓を持つ人物の事業を受け継ぎ、莫大な遺産を相続したことから邱姓を名乗りはじめ、新江における邱一族の元祖になったと言われています。
ここが曾→邱へ変化したポイントになります。
迁荣公(Chian Eng Kong)の息子の晩成公(Buan Seng Kong)が、1380年に邱を正式な苗字として使用するようになり、それ以降、一族の間で邱が使われるようになりました。
世界に広がる邱一族
晩成公(Buan Seng Kong)には、名大发(元享公)と与正发(元忠公)という二人の息子がいます。
3代目にあたる名大发(元享公)と与正发(元忠公)以降、新江における邱一族が大きく成長し、のちにその子孫たちは中国、台湾、フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、ミャンマーなどに広がっていきました。
19世紀に多くの邱一族が新江からペナンに移住したとなっていますが、統計上では1786年〜1800年に30名ほどの邱氏がペナンに存在し、1816年には100名を超えるほどになっていたとされています。
つまり、英国人のFrancis Light(フランシス・ライト)が1786年にペナンのジョージタウンを築いた時には、既に邱一族がペナンに住んでいたことになります。
そのくらい古くから邱一族がペナンに暮らしていたということを統計が示しています。
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丘ではなく邱という文字が使われるようになった背景
日本人からすると、”邱”という文字を見ても、いまいちピンと来ないかもしれません。
邱という文字は…
…を組み合わせた漢字になります。
元々、丘という姓が広く使われていたものの、清の皇帝の命令により、丘の姓を名乗っている農民などに対し、邱に改名させたと言われています。
その理由は儒教の始祖として敬われている孔子。
孔子の諱(いみな)が「孔丘」であることから、聖人と同じ「丘」の文字を使うことが畏れ多いということで禁忌となりました。
クーコンシー内では、上記のように邱の文字の成り立ちが説明されています。
Khoo Kongsi(クーコンシー)の遍歴
現在のクーコンシーは、1906年に完成した当時のクランハウスがベースになっています。
龍山堂という言葉が使われている理由
クーコンシー(龍山堂邱公司)に、なぜ龍山堂という言葉が使われているのか疑問に思う方がいるかもしれません。
元祖である迁荣公(Chian Eng Kong)のルーツが曾延世(Chan Yan Si)にあると前述しましたが、龍山堂は曾延世(Chan Yan Si)が難を逃れて辿り着いた福建省泉州の温陵(龍山)という場所から取られたものになります。
一族の本当の意味での原点を忘れないようにする思いと共に、曾と邱一族双方に対する敬意の証と言えます。
クーコンシーの見所
ここからは建物自体の見所について紹介します。
海外のエッセンスを取り入れたデザイン
クーコンシーは中国様式がメインになっているものの、随所に英国をはじめとした海外のエッセンスを取り入れた折衷スタイルの建築物になっています。
当時のペナンにおける多様性溢れる社会の縮図を反映したものであり、細部にまでこだわって建てられたクーコンシーは豊かな財力を持つ一族の力を示すものになっています。
2階のベランダにある鉄製のフェンスは花をデザインモチーフにしたもので、イギリスでオーダーメイドで作られたフェンスになります。
内部にある階段やランプにも西洋のエッセンスが取り入れられています。
クーコンシーは屋根の上にある装飾が素晴らしいということでも知られていますが、これはインドと中国のフュージョンになります。
豪華な装飾と細やかな彫刻
2階部分にあるお参りをするスペース。
とにかく豪華です。
至るところに彫刻があります。
どれも精巧です。
クーコンシーのロケーションと行き方
住所:18, Cannon Square, George Town, 10450 George Town, Pulau Pinang
開放時間は9:00〜17:00です。
エントランス
クーコンシーは多くのお店(ショップハウス)に取り囲まれていることから、少し見つけにくい場所にあります。
Cannon Street(キャノンストリート)にあるメインエントランス以外に、Armenian Street(アルメニアンストリート)とBeach Street(ビーチストリート)にサイドエントランスがありますが、キャノンストリートのメインエントランスを使って、アクセスする方法がおすすめです。
赤いピンが立っているところがメインエントランスになります。
メインエントランス。
メインエントランスに入ったら、チケットカウンターに向かって歩いて行きます。
この看板が目印になり、ここにチケットカウンターがあります。
入場料はRM10(大人)。
入場券は上記のようなシールタイプになっています。
ライトアップのスケジュール
クーコンシーでは特定の日程に夜間のライトアップを行い、一般解放しています。
ライトアップの日程は公式サイトに掲載されています。
入場料は無料です。
丘と邑(阝:日本語のおおざとへん)